BLOG KURAKATA

アクセスカウンタ

zoom RSS 岡知史 「ソーシャルワーク実践における価値と倫理のジレンマ」

<<   作成日時 : 2006/03/10 21:31   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 1

岡知史 「ソーシャルワーク実践における価値と倫理のジレンマ‐セルフヘルプグループあるいはボランティアとの関係から」 pp.11-31,『社会福祉実践理論研究』Vol.9 , 日本社会福祉実践理論学会 2000.06
(1999年5月28日‐30日に大阪市立大学で行われた日本社会福祉実践理論学会第16回大会の講演から論文化されている。)
岡知史先生ホームページ http://pweb.cc.sophia.ac.jp/~t-oka/j.htm
 
 この論文は岡先生のホームページから読むことが出来るもので、私が自分のパソコンに保存して機会があるごとに読み直している論文の一つである。
内容は次のような項目立てになっている。
・・・・・・・・・・・・・・ 論文から抜粋 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1、自発性を援助すると言う矛盾
2、援助実践との関連で 
  (1)「育てる」という過ち 
  (2)契約違反という倫理的問題 
  (3)ニーズのすり替えという倫理的問題 
  (4)アドボカシーの欠如という倫理的問題
  (5)援助対象の意図的選択という倫理的問題
  (6)実践重視からくる倫理的問題
  (7)資源としての活用からくる倫理的問題
  (8)公的性格と私的性格
  (9)地域福祉実践に関わるグループの四類型
3、調査研究との関連で
  (1)セルフヘルプグループの調査の難しさ
  (2)調査の戦略的利用からくる倫理的問題
  (3)参加的アクションリサーチの倫理的問題
  (4)研究成果の発表にともなう倫理的問題
4、むすび:相互チェックの必要性
5、関連文献
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 以上 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
※この論文を読んでもっとも反省させられる点はまず、セルフヘルプ・グループを資源として使うためにソーシャルワーカーが紹介した結果、自主的な活動が損なわれ、頼るためにグループに参加しようとする人を増やしてしまったと言う指摘である。いがいと病院のソーシャルワーカーは知らず知らずにこのような言い回しでグループを紹介しているのではないだろうか。この部分を本文から引用する。
「セルフへルプグループを社会資源として利用することがどこまで許されるか。セルフへルプグループは、自ら活動しようとする人々 の集まりである。そこに、クリニックに通うような気持ちでグループに参加する人が増えると、グループに負担がかかるばかりである。病院のケースワーカーが患者会をあたかも「無料の相談所」のように患者に紹介した結果、その患者が患者会の役員宅に「困ったときはいつでも電話する」ようになる。しかし、患者は患者会に参加し、会の活動の一端を担うつもりはない。このような依存的な患者の存在は、患者会の重荷になっている。」
※またセルフヘルプ・グループを育てると言う過ちについても、岡先生は下のように指摘している。この点についても納得できるところであり、ソーシャルワーカーはこのようなつもりでグループを作ろうとしてはいけないとつくづく感じるところだ。
「セルフへルプグループを「育てる」という専門職は、しばしば援助関係における契約を軽視している。すなわち、もともと専門職の援助を受けたいというニーズをもって訪れたクライエントを集めて、セルフへルプグループを作ろうとしている。ワーカーが介在するグループワークを望んでいるのに、ワーカーがいなくなろうとしているグループに入れられると、クライエントは戸惑うのである。」
※私は江東区で「難病ボランティア江東の会」という、難病の当事者を応援する市民ボランティアグループに参加しているが、当事者グループと対等な関係を築いて活動していくことは難しいと感じたことがある。あるグループの代表から、「蔵方さん次は何をしますか?」と言う、言い回しで、活動内容を決めてくれと相談を持ちかけられたときには、自分の行動が間違っていたと反省させられた。岡先生は次のように書いている。「自分自身でグループを運営していきたい、自分の体験を社会的に活かしたいというボランタリズムに結びついたニーズが、セルフへルプグループにつながるのである。」
私が活動に協力していると思ってやっていたことで、グループの自主性を奪う結果を作っていたことに気づいたのである。そのグループとは現在距離のとり方を見直し、自分の行動を自粛した。くだけた言い回しだがあまりになんでも引き受けすぎたのだ。グループの参加者の意見を取り上げて活動内容を決めていくと言う、当たり前のことが出来ていないことにもっと早く気がつくべきだったとしきりに反省したのだ。岡先生の論文は耳に痛い。





  
  

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 2
なるほど(納得、参考になった、ヘー)
ガッツ(がんばれ!)

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
福祉の研究者、プラクティショナーも「社会的資源」ということばを使いすぎだと感じます。周りのものを全て自分の活きる手段にしてしまうものの見方は感心しません。その社会的資源は誰がつくり、維持しているのでしょうか。
coping-with
2010/11/20 08:27

コメントする help

ニックネーム
本 文

お願い

 このブログは実名を名乗り、顔写真も載せて記事の作成をしています。記事の内容は、関係者と個人のプライバシーの保護のため一部変更していることをご了承ください。
 またトラックバックとコメントの受付をしていますが、できましたら名前を記載して投稿をお願いいたします。匿名で言いたい放題は好きではありません。
BLOG管理者 蔵方伸枝

メッセージ

 特別な事情で名前を記載してコメントができない方はメールをお送りくださいkurakata2006@gmail.com
岡知史 「ソーシャルワーク実践における価値と倫理のジレンマ」 BLOG KURAKATA/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる